進行状況:完成
SAAB J-21の概要
機体の概要を紹介する前にまず、開発当時の欧州情勢から解説しようと思う。 開発計画の開始された1940代初頭というのは言うまでもなく、ドイツ第三帝国によるポーランド侵攻に対し イギリス、フランスが対独宣戦布告したことに端を発する第二次世界大戦の真っ只中である。 その後ドイツ軍は東欧、北欧、フランスへと侵攻、また、イタリアの参戦と共に西部戦線、北部アフリカへ、 そしてさらに、独ソ不可侵条約を一方的に破棄し、ソ連侵攻作戦であるバルバロッサ作戦を開始。 イギリスを除くヨーロッパ全土は、ほぼ、ドイツ、イタリアからなる枢軸国の手中に収められていった。
この様な錯綜した状況において、当時から厳正中立を堅持していたスウェーデンは次期制式戦闘機 を戦況の悪化から、伝統的に頼っていたイタリアからの輸入で補うことは断念し、中立性を保つという意味からも、 国産戦闘機製造計画を開始することとなった。これがJ-21開発の背景である。 ところで余談であるが真偽定かではないものの、当時スウェーデンでは 日本の「零式艦上戦闘機」を輸入するという計画もあったそうだ。たしかに四面楚歌という点においては、当時の スウェーデンと日本は置かれた状況が似通っていたといえる。結局日本に航空機を輸出するほどの生産力が なかったことと、戦況の悪化により海上輸送が不可能になったことにより白紙になったそうだが、 これが本当のことなら、個人的にかなり「興味深い」な話ではある。(笑)
では機体概要に入って行きたいと思う。 まず、一見して、かなり独特の形状をしていることが分かる。 そののち、SAAB社が生産することになる「超」個性派戦闘機群の萌芽を見ることが出来るだろう。(笑) 基本となる胴体はあるのだが、そこから伸びる主翼から双胴に分かれており、それを尾翼がつないでいる。 とりわけ、特徴的なのは、プロペラを中央胴体後部に配置する「推進式プロペラ」を採用している点である。 推進式プロペラ機は、当時各国で研究開発が進んでおり、日本でも局地戦闘機「震電」などで有名であるが、 しかし、それら各国の開発ははどれも結局実験段階で終ったり、開発には成功したもののすぐに終戦を 迎えてしまい、実戦配備には至っていない。例えば前述の震電も試験飛行成功の三日後に終戦という悲壮な 結果をたどっている。そのなかで世界中で唯一、第二次世界大戦中の実戦配備に成功したJ-21はそれだけで、 評価に値するといえよう。
エンジンはドイツダイムラーベンツ社のDB605液冷倒立V型12気筒エンジンをライセンス生産したものを 一基搭載している、このエンジンは1480馬力と当時の水準としてはそれほど高いものではなかったが、 そのラディカルな設計が幸いし、同一のエンジンを搭載したドイツのメッサーシュミットBf109G-1を 最高速度で上回る、640km/hを実現しており、運動性能もなかなか良好であった。
武装は、エンジンを機体前面に配置する牽引式プロペラと違い、前面に機銃を集中することが可能なため、 中央胴体前面に13.2mm機銃を二門、20mm機関砲を一門、主翼に13.2mm機銃を二門、さらに後期型では、 主翼下に爆弾架を持ち、胴体下に機銃ポットを搭載することが可能であるなど、随分豪勢なものであった。
初飛行は1943年だがギアブレーキの故障により離陸できず、滑走路端の柵にぶつかって停止してしまうという 散々なものであった。それでも事故原因が機体の根本にかかわるものではなかったため、計画は続行され、 1945年から実戦配備が開始されることとなった。しかし、すでに前々年イタリアが降伏しており、 さらにその年5月に首都ベルリンを占領されたドイツが降伏、8月に日本が降伏したため、第二次世界大戦は イギリス、フランス、ソ連などからなる連合国の勝利という形で終結し、 結局J-21が実戦へ出るということはなかった。
モデリング
モデリングに関して述べてみようと思う、まず3Dモデル作成にはMetasequoiaLEとGepolyを使用した。 いまさらだが、両方ともかなり優れたソフトウェアで、月並みな表現だが「フリーとは思えない」出来である。
おおまかな製作過程としてはまずMetasequoiaLEで基本的な形状や、細やかな部品を作成し、 Gepolyで影取り、修正をした。MetasequoiaLEの使用法は解説されているサイトが相当数あるため、 それらを適宜、参照させてもらったのだが、基本的に「基本図形」の変形という方法と、一からモデリングしていく 方法があるようだ、今回わたしは中央胴体、双胴の部分を基本図形の変形で作り、主翼や尾翼などを自分で 頂点を配置し、それにポリゴンを張って作った。この基本図形を変形して作る方法はかなり楽なのだが、 わたしがやると何故かデータのサイズがかなり大きなものになってしまう。今回も必然的にそうなってしまった。(滅
苦労したのは、主翼の付け根の自然な曲線の表現とスウェーデン空軍の徽章である。 主翼の付け根は何度もやり直したのだが、いざsrfviewで見てみるとどうも不自然に見えてしまう。 かなり苦労したが、いろんな人から相当の助言をもらって、何とか見ることの出来るものにはなったと思う。 スウェーデン空軍の徽章はあらかじめ別データで作っておいて、それを主データの徽章を入れる部分の下に敷き、 ひたすらカットして作った。難しくはないがかなり骨の折れる作業である。 某S氏の「KIAI」にはかなり励まされた。(嘘)
こうしてモデリングしたデータは*.mqo形式で保存され、このままではYSFSの機体データとしては使えない。 *.mqo形式を*.srf形式にコンバートしてやる必要があるのだが。これにもなん通りかの方法があるようだ。 今回わたしはF22愛好会氏のperlスクリプト「mqo2srf」を使用させてもらった。 以下、氏のスクリプト群が怒涛のように登場するのだが、 これらスクリプト群は特にわたしのような物臭な人間には涙が出るほどありがたい。(誇張無し)
さて、そうしてコンバートしたデータをsrfviewで見てみると、かなり影がかかっており、所々黒ずんでいてみっともない。 この影は、ポリゴンが鋭角に接しているところに発生するらしく、これを消すためには頂点の「丸め」設定をはずす。 (GepolyのRound Vertexコマンドで出来る。)もしくは、鋭角になっているところでポリゴンデータを切り離し、またくっつける。 つまり頂点を「二重」にすることで解決するらしい。ただ、後者の作業はかなり大変な上、頂点を二重にすることで そのぶんデータのサイズがかさんでしまうので、いわゆる「諸刃の剣」といったら言い過ぎかもしれないが、 注意する必要がある。そのため、例えばポリゴンが目立つところでは二重にする方法を使い、目立たないところや、 角ばってもいいようなところには、ポリゴンの丸め設定をはずす方法を使うという風に、効果的に使い分ける 必要があるだろう。ちなみに鋭角の頂点でポリゴンを切って、またくっつけるのは、あらかじめ切るところを境に ポリゴンの色を分けておき、F22愛好会氏のスクリプト「colordel」で色別にわけ、その後、「srfmerge」 で結合し、「chcolor」で元の色に直す方法が楽、とは言わないがかなり作業を短縮できる。
そしてついにYSFSの機体データであるDNMファイルを作るのだがこれがまた骨の折れる作業である。 (玄人な方々の中には、一部この作業が楽しくてしょうがないという方もおられるようだが…。) DNMファイルというのは中身を見たら分かるのだが単純にいえばSRFファイルの集合体で、構造はまずインクルードする SRFファイルが列挙され、そのあと組み立てと、動翼などの設定となる。 非動部品はそのままでいいのだが、動翼などはX/Y/Zのいずれかの軸を中心として回るので、一つ一つ、それらの軸 にあわせてやる必要がある。一見大変なような作業だが、これもスクリプト「srfalign」を使えば楽にデータを 移動することが出来る。(自分のケアレスミスで「srfalignが使えない!」とか叫んでいたのは秘密です。) 透明化や、組み立て部分の書式については、適宜、解説されているサイトを参照していただきたい。
DATファイル(機体性能)
そもそも、この機体を作ろうと思ったきっかけがYSFSのマルチプレイでの戦闘を自作機でしてみたかった為であり。 そのためDATファイルもゲームバランスなどを考慮して、慎重に作らなければならない。(陣風とは言わないが、 一部、ゲームバランスを全く無視した機体が作られ、マルチプレイの戦闘で使われているのは困ったものである。)
前述の通りJ-21は一度も実戦に出ていないため、同年代のドイツ軍機やイギリス軍機のようには、性能がはっきりしない。 とりあえず、まずは比較対象を立てることにした。そこで、同じ推進式プロペラ機としてSAPの震電、同一のエンジンを 搭載していたTMPのメッサーシュミットBf109、SAAB社が(恐らく)影響を受けたであろうイタリア機の後継機である、 レジアーネRe.2005サジタリオに白羽の矢を立てた。旋回性能など基本的な運動性能はサジタリオをベースにし、 あとは、想像・予想を織り交ぜながらフィーリングで作るしかなかった。少し強くなりすぎた感もあるが、 そこらへんは作者の贔屓目ということで。……だめですか?(粛清)
まとめ
こうして完成に至ることが出来たのだが、やはり冷静になってみてみると、所々アラの目立つものとなった。 とはいえ、今までMetasequoia練習の踏み台にしてきた数々の機体(J-29やらMiG-21やら…)と比べてみると、 ある程度上達したのではないかと感慨にふけってしまう。
今回完成ファイルに多少の不備があったようだ、 へたしたらこのまま公開してしまってたかもしれないため、今後は気を付けて製作したいと思う。
末筆になってしまったが、今回パイロットのモデルを使わせていただいたSGI氏、珠玉のスクリプト群を使わせてもらったF22愛好会氏、 快く里親(謎)になっていただいた佐藤氏、および数多くの助言を頂いた某部屋の方々には本当に感謝してる。ありがとうございました。 …いや、ここは、ありがとうございます。と言うべきだな。うむ。